おちばたき 11月25日
2019年 11月 25日
~映画や小説で出会った言葉に深く唸らされ、
しみ込んでゆくシリーズ vol.17(くらい)~
どんな選択をしても最後まで責任を持てるなら
それは正しい選択なの
それが正しいかどうかより、自分がいいと思える
道を選ぶこと。その選択、決断に後々後悔することに
なったとしても、誰のせいにもしない。
全てを自分の責任として、生きている。その
選択を「正しいもの」にするのは自身だから。
焦る気持ちっていうのは大事で、それはきっと、
潮目が来た時に自分を動かすバネになるから
現状に甘んじて、こんなもんでいいか、と思う
気持ち40%、いやいやこのままではあかんやろ、
と焦る気持ち60%。
確かに、いい風が吹いてきた、と気づく時には、
焦る気持ちがあるからこそ、アンテナに必要な
情報がひっかるのだな、と思う。
誰かに助けを求めることは、決してかっこ悪い
ことではないし、自分の無力を表明することでもない。
まっとうなコミュニケーションだ。むしろ、
「こんな弱音や本音を言ったら、相手にどう
思われるだろう」と縮こまり、寄せられる心配すら
遮断して閉じこもってしまうほうが、よっぽど
勇気がなく、周囲のひとの心を無視する行いだと
言えよう。
他人にはこんな風に言いたい。実際そう思って
いるけれど。
大丈夫です、と極力何でもない風に返しながら、
実は乾いた深い井戸のそこで膝を抱えるような
閉じこもり方をしてしまう。それが自分の矜持を
支えてもいる。
記憶は薄れ、止められた時間はみるみる遠ざかる。
何百年も前の星の光よりも、すぐそこにある雷の
光が先に届くように、現実が思い出を遠ざけていく。
記憶が薄れていくから、生きていられる。
どんなかなしみも苦しみも痛みも、いつしか
日常に紛れて、輪郭がぼやけてしまう。さびしい。
by ca0lizm
| 2019-11-25 05:20
| おいしいもの
|
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