土曜日のメールは、数年ぶりのAちゃんからで、携帯の
アドレスを変えたのにいろいろ忙しくて連絡しそびれて
いました、と近況が添えられていた。
なんと珍しい、と返信。先日会ったNちゃんと同じ、
女子大で働いていたころの学生。私は彼女らの先生でも
先輩でもなく、ただの事務員で、友だちというのも
なんか違うが、知人というのもそっけない。
返信を打ちながら、そういえば・・・と思い出す。
学年で一番若いと言っていた、今日は彼女の誕生日!
こんな日に私を思い出してメールをくれるというのは
彼女にとってちょうどいい距離間の誰かに話したい
何かがあるように感じたのは気のせいではなかった。
ご主人の転勤で生まれ育った土地を遠く離れ、関東で
子育ての真っ最中。異なる文化で、自分を理解してくれる
親しい友人もなく、自分の時間すら持てず、余裕のない
日々の中で、人知れず募る焦燥感とか、疎外感。
子どもはかわいいのに、苛立ちを抱くことに罪悪感を
感じて体調まで崩したり。

思いつめて、今の幸せ自体これでいいのだろうか、と
ふと思い眠れぬ夜もあって、誰もが自分のことなんて
忘れてしまったような孤独を持て余していたらしい。
子どもも夫も持たない私には、真の意味では共感は
しきれない。もっと大変な人もいるのだし、とか
子どものいる人はみんなそうやで、とか、上辺の
叱咤激励をする気もさらさらない。
また、人を救うことなんてできないし、できること
なんて、なにもない。あなたを忘れてはいないし、
決してひとりじゃないですよ、とは言えても。
閉ざされていると思う今の状況が、実は無限に
広がっていると気づくのはそう遠くない未来に
必ずあるのだということ。
前向きだろうがうしろ向きだろうが、生きてれば
無限の選択肢があること。
どうか「あの時の私、めちゃ頑張ってたわ」と笑って
振り返る日はきっとくる。その時、この関東の春が、
桜が、思い出の背景に彩りを添えてくれますように。
メールくださって、ありがとう。