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Home Town sweet  9月15日

旅先で見るひなびた町は、ただ懐古的な気持ちで
それなりのよさを味わえるのだけれど、我ふるさとの
そんな風景は、なんだかさびしさを通り越して
もやもやと、苛立ちすらする。

壊れたまま、撤去されずにそこにあるだけの
自動販売機とか、駐車場ですらない空き地、淀んだ
どぶ川、朽ちかけたまま現役の看板。

まちの名のつく名物もたくさんあるし、映画やドラマの
ロケ地にも使われ、メジャーではないけれど、
観光に訪れる人もいる。そのまちにはないのに、
名を冠した大規模な橋すら・・。

初めてハンバーガーを食べ、一人で映画も観、
自転車で、電車で、少しずつ世界が広がっていき、
私がいるべき場所はここではないはずだ、と、
見果てぬ場所を夢見、巣立つ日が待ち遠しくて
仕方がなかった。

自分という人格のベースの全てがそこにあり、
多くを与えられ、与えられすぎて、それが煩わしく、
大人になったつもりでその囲いから18で飛び出し、
戸惑い、怒り、苦しみ、反発するエネルギーを
燃料にして、もがいた長い年月。

故郷には、恥ずかしい思い出ばかりの子どもの
頃の自分しかいない。

だから今、経験を重ね、分別のある大人として
日常を過ごしている(つもりの)自分にとって、
未熟な自分自身の影が拭えない、そして、ちっとも
かわらずそこにあり、そんな思いを抱えたままの
私をも包み込むような故郷が、もどかしく、また
なんだか腹立たしいのだろうと思う。

結局私はまだ、大人になりきれず相変わらず
未熟なままで、そんな自分と向き合いたくなくて、
言い訳のつかない拒絶感に抗いながらも、
帰郷する。

そして、今の自分の住む場所へ帰る時、決まって
名残惜しくて、まるで知らない町に捨てられた
犬のような心細さすら感じ、夕暮れが淋しい。

相反するふたつの感情に、大きく振り回されながら、
けれど、何でもない風を装い、笑っている自分は
決して演じているわけでない。たぶん・・・。

帰る場所がある、それはきっと人として生きる上で
心強く幸せなことだということ。たったひとつ、私が
未熟なりに辿り着いた、故郷への思い。
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by ca0lizm | 2013-09-15 05:12 | ねこ | Comments(0)

 心の琴線に触れるもの


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